みなさんこんにちは。スージーです。
今回は、Fate/Zeroの名シーンで衛宮切嗣(INFJ)とアーサー(セイバー、ISTJ)がお互いの思想を問い合うところがあるのですが、そこを取りあげてみたいと思います。このシーンが好きで記事にしてみたかったです。真面目過ぎて、面白くないかもしれませんが、興味のある人は好きかもしれません。
切嗣VSアーサーより
戦場は地獄?
アーサーは言います。「命のやり取りだとしても、人の営みであり法と理念がある。」それに続き、「そうでなくては戦争のたびに世の中が地獄になる」と。
つまり、アーサー(ISTJ)が言いたいのは、戦争にはルールや双方の目的がある。だから、地獄とまではいかないと言います。
戦争のルール
考えられる戦争のルールとは、女性や子供など戦いに適した人たちでなく鍛えられた兵士同士で闘うとか、戦争のあと敵国の捕虜の行く末は厳密に審議するとか、王様を殺したり、相手が降伏したらやめるといったことがあります。
そういうルールの下で勝敗を決めることは公平であると言いたいのでしょう。
対して切嗣は
戦場が地獄よりマシなはずがない。戦場は正真正銘の地獄だと言います。彼は父殺し、好きになった女性の死徒化の目撃、家族と認めた母に近い女性を自ら殺めるといった経験をしています。悲しみを人一倍感じてきたからか切嗣は戦争自体が地獄だ。と言います。
そして、勇猛果敢な英雄様が武勇談で人の目をくらませ、血を流すことの邪悪さを認めようとしない!と言い放ちます。
切嗣は戦争自体が間違いと言います。切嗣の理想は、抽象的な物であり人々が悲しむことのない世界と言えるでしょう。
アーサーの背景とそれぞれの主張
対するアーサーの主張はどうでしょう?
アーサーは王となりましたが、ライダー(アレキサンドロス大王)と違い部下がありのままのアーサーを慕っておらず、自分が思う良き王を正義感と義務感で演じていただけです。ライダーは殉教と言っていました。
そのせいで、部下のランスロットの償いたいと言う気持ちを知ることができませんでした。他の部下も理想的なアーサーの王像を見てアーサーを盲目的に崇拝していただけでした。その結果、国が滅ぶきっかけとなったのです。
そしてアーサーは後悔します。自分が王じゃなかったら。と。その結果、彼女は聖杯に願います。王の選別の時に戻り、自分を王じゃなくしてくれ。と。ただただ真面目で固いアーサーですね。
推測ですが、アーサーは戦場は地獄よりはマシとしているため、戦争は必要悪だと思っているのではないでしょうか。つまり、平和のためには公平な戦いが必要である。と。聖杯戦争中も公平な戦いには喜んで望もうとしていました。
確かに、戦いの中に公平さがあれば勝利したものは平和を手にします。負けた側は権力が失われ、それに伴い力を失います。それによって勝った側は短い期間かもしれませんが平和を得ることができます。
切嗣は、平和とは戦わないことであり、血を流さないことだ。と言います。切嗣の主張は抽象的で地に足が着いてはいませんが、確かに戦わなければ争いは生まれません。戦争が理由で死ぬ人がいなくなります。
それぞれの対比
アーサーの思想は、即時性がありますが、狭い範囲のことです。切嗣の思想は、敵が攻めてきた後では全く効果のない戯言になりますが、全員が戦争で傷つくことがなくなります。
アーサーの言う平和というのはより現実味がありますが痛みを伴うことが前提。切嗣の平和は誰も傷つかない空想の中の世界。と言えるでしょう。
番外編 戦争は必要?
以前、「戦争がなければ本当に生きているとは言えない」と言われたことがあります。顔も名前も知らない外国人に言われたのですが、これはおそらくアーサー寄りの意見ですね。私たちの世界に戦争はずっとあったものだから生きることは戦争があるということかもしれません。また、我々は戦わなければ得られるものがないと言う強いメッセージだったかもしれません。
人類が生まれてからずっと争いがあるので、こういった戦争のテーマというのは長く大きな問題だと思います。きっとこのアニメはそういった意味でも興味深いアニメでしょう。
また、INFJタイプとISTJタイプの人たちは少しでも共感するところがあるでしょう。ISTJタイプは地に足の着いた人たちで、INFJタイプは想像の中のビジョンを追いかける人達です。
いかがでしたか?
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