みなさんこんにちは。私はスージーです。
今回は、エニアグラムの基礎知識をまとめてみました。
長いですので目次から興味のある部分に跳んで読むことをお勧めします。
- エニアグラムの代表的な作者と言えばオスカー・イチャーソ
- ゲオルグ・グルジエフが広めた図形
- オスカー・イチャーソの功績
- 生命の樹、カバラの教え
- エニアグラムの美徳、とらわれ、聖なる考え、自我の固着について
エニアグラムの代表的な作者と言えばオスカー・イチャーソ
エニアグラムの性格類型は古代の知恵の伝統を合わせたものです。しかし、その中でも代表者として言われているのはオスカー・イチャーソです。イチャーソはボリビアに生れ、ペルーでも生活をしました。若いときにブエノスアイレスやアルゼンチンに移り、そこに彼がインナーワークと出会った学校があります。その後、彼はアジアにいき後に南アメリカに戻ったときに人々に広めることになるシステム構造を学びました。
彼のアイデアを数年かけて進歩させていきました。彼は心理学者や記者と行動を共にしていたこともあるようです。そして心理学者と記者はイチャーソのシステムを学び、教えられたことに取り組みました。
イチャーソの開校したアリカスクールではいくらかの種類のインナーワークがあり、それらは心理学、コスモロジー、形而上学、スピリチュアルといった要素が複合的に合わせられていたりもしたようです。人間の意識を変える技法もあったようです。
最近の著作活動で知られるドン・リチャード・リソも、ラス・ハドソンもアリカスクールで学んだわけではないようです。
参加者たちに最も興味のあったシステムはエニアグラムの古代の図形についてだったようです。エニアグラムの図形の背後にある考えはピタゴラス(紀元前582-紀元前496)に見られると言われます。あの図形がどこに存在していたかについてはいくらかの説があります。
ゲオルグ・グルジエフが広めた図形
この図形と言うのはロシアのゲオルグ・グルジエフによってふたたび現代に広められたと言われています。グルジエフによってインナーワークの授業は強く影響を受けています。
グルジエフは神聖な踊りや動き(グルジエフ・ムーブメンツ)を通して本来的な図形を教えました。これは、参加者に直接的に伝わり、感覚を通して象徴的なものやプロセスを感じ取るものだと言われています。
グルジエフは図形に関連した内容を明確に教えませんでした。グルジエフは優秀な生徒にチーフフィーチャーという自我にある柱で、個性を明確にする部分について明らかにしました。ただ、グルジエフはエニアグラムに関連して個性を理解するということについては教えなかったようです。
オスカー・イチャーソの功績
イチャーソは数々の伝統や知識をエニアグラムのシンボルと合わせて作り上げました。そのため伝統的なエニアグラムと言う話になると1960年のイチャーソが初めて教えたものになります。しかし、エニアグラムにある哲学的な部分はユダヤ教、キリスト教、イスラム教、道教、仏教を含み、ギリシャの哲学者(プラトン、ソクラテス、新プラトン主義)にもさかのぼると言われています。
イチャーソは108(9タイプ×サブタイプ2つ×本能タイプの6パターン)ものエニアグラムについて教えていました。しかし、アメリカにおけるエニアグラムのムーブメントではとらわれ(Passion)、美徳(virtue)、自我の固着(Fixation)、聖なる考え(Holy idea)というものを基にしたものが広まりエニアグラムの主な物だとして扱われているようです。
エニアグラムの図形の重要なところは、主にこれらのシステムが人の本質と性格、自我との関係性を明らかにするために設計されたことであることを忘れてはいけません。イチャーソはエニアグラムを人間の魂の構造や特に人の魂の本来の質が歪んだり退行してしまうことについて調べるものとして扱っていたと言われます。
彼はエニアグラム理論を発達させていくのに西側の神秘思想や哲学の伝統を使いました。その中に9柱神というものがあります。この9つというのは新プラトン主義者のプロティヌスの「これ以上分解できない9つの資質」という発想とも関係があるようです。また、プロティヌスの著書でもあるエネアデスというものがあります。エンネア(Ennea)はギリシア語で9でエネアデスはその複数形です。
キリスト教の7つの大罪も研究し、エニアグラムのとらわれを表しました。
生命の樹、カバラの教え
イチャーソはカバラの教えも用いました。生命の樹の図です。生命の樹というのは神の作った見かけ上の宇宙のその中にある法則や法を示す図だと言われています。
10の球が22の線でつながっているものです。カバラの樹の球から生れ出る、もしくはカバラの樹から放射された火花こそが人の魂であると言うカバラの教えにイチャーソは気づいていたと言われます。
一時、カバラの伝統的な教えでは、総大司教というのは樹のなかの異なる球から具現化したものだと言われていました。つまり、この球からなる異なる魂が存在すると言うことです。
イチャーソの輝かしい発見としては、これらの形態とそれらの歪みへの対応がエニアグラムのシンボルと人間の思考、感情、本能センターとにつなげたことです。
彼は高度で統合された人間の精神(聖なる考え)と、西部の神秘的な伝統とを結びつけました。この聖なる考えは美徳ともつながるものです。美徳は人間が本質(エッセンス)にとどまったときの人間のありようを経験したときの質ということです。
人が注意や面前のことを見失ったとき、エッセンスから足を踏み外し錯乱した人間になります。聖なる考えから目を離すと人は自我の固着となり、美徳に繋がれないとそれぞれがとらわれを起こします。
それぞれの聖なる考えや美徳の統合は限度があると同時に、それらは魂の中心をなすものだと言われます。もし統合を失ったら鋭い感じが起こり、人の自我はそれを再構成することに夢中になり空しくとも自己破壊的な方法をとると言われています。
エニアグラムの美徳、とらわれ、聖なる考え、自我の固着について
とらわれ、自我の固着は自我の退行となるのです。イチャーソの理論では、私たちは神とのつながりを忘却したことによってセンターを失って思考や感情が歪むようになるというのです。
高度な質の魂と自我の間の特殊な関係の歪みは、独特のとらわれと自我の固着人ができることであり、私たちにできることはプレゼンスを使い、歪みの法則に気づくことやその質の不明瞭なエッセンスを認識できるようになることです。
高度な質を憶えていたりよく考えることで それが原因でエッセンスとして注意力は加速し、バランスが戻りやすくなるタイプを知ることは、その変化する過程を容易にするインナーワークとなります。
美徳は本来あるべき姿を取っている人が感じることのできる経験です。美徳は目覚めた心のあるがままの表現です。リラックスし、より今に集中し意識をはっきりとさせ、自我にある恐怖と欲求を見る、そういった心の状態と言うのは自然であり人の持つ魂を明らかにすると専門家は言います。
私たちが本来必要とする霊的なものやエッセンス(本質)から離れることでできるとらわれによって、私たちがの現実への応答をするときの心の奥底の状態が決められます。
心の奥底の傷つきや恥ずかしさ、悲しみは大きなものを伴う。私たちのエゴは、うまくいっていないという考えを思い浮かべるよう強いる。一時的で、見当違いでうまくいかない戦略をもたらす効果がとらわれです。
とらわれというのは先天的なもので、美徳を必要としています。とらわれを認識することで美徳を取り戻すことが容易になります。
それぞれのタイプの美徳はとらわれに対する強制手段となったり、各タイプのポジティブな特性を表すことになります。美徳を呼び戻すことで、とらわれは徐々に変化していきます。美徳を取り戻しとらわれを変化させることはエニアグラムの霊的な部分の中で重要なことです。
聖なる考えはビーイングのつながりを認識したり分かることであり、本質への知覚です。それらは事実を現実と捉えられる間、つまりしっかりと目覚めていて今を生きているときには静かにあり、明確です。
聖なる考えを失うことはセルフや現実を妄想めいたものに変える、それが自我の固着です。自我の固着の間、人は二元的になってしまった自我の見通しからバランスや聖なる考えの自由を戻そうと努めますができません。
再びになりますが、私たちそれぞれのタイプの聖なる考えの知覚の仕方を理解することが自我の固着を強制する方法とされます。私たちの本来の二元的でない見通しは、私たちのタイプの歪みを見つけたときに戻ります。
これらがエニアグラムの基本的知識となります。
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